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※こちらの記事は、2021年4月18日に書かれた内容です。
ご了承ください。
★4月18日は「発明の日」
今日、4月18日は「発明の日」ですね。
ってご存知でしたか?
これは、以前ご紹介した「日本記念日協会」が登録したものではありません。
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1954年に、当時の通商産業省(現在の経済産業省)が、
特許制度などの普及・啓発を図ることを目的として、
この日を「発明の日」と決定したんですね。
だから、結構歴史のある記念日なんです。
この「発明の日」の前後には、毎年、
弁理士など発明が関連する業界で、
さまざまなイベントが行われたりします。
★なぜ4月18日なの?
ではなぜ、4月18日が「発明の日」なのかと言うと、
日本の特許制度が始まった日だからです。
今から136年前の
1885年(明治18年)4月18日に、
初代特許庁長官の高橋是清たちが
「専売特許条例」という、
現在の特許法に当たる条例を制定しました。
ちなみに、大日本帝国憲法は1889年(明治22年)ですから、
それよりも前ということになります。
ただ、実は「専売特許条例」より前にも、
特許の法律が存在していたことがありました。
1871年(明治4年)に作られた「専売略規則」という特許の規則ですね。
こちらは、運用上の問題や特許不要論等が出てきて、
結局施行されなかったので、
特許制度の始まりとはみなされませんでした。
★特許制度がなかった時代の悲劇
では、特許制度がなかった時代はどうだったのか?というと、
ある有名な悲劇的なエピソードの事例があります。
それが、臥雲辰致(がうんたつむね(たっち))さんのお話です。
「専売特許条例」が公布される8年前の
1877年(明治10年)に、
「第1回内国勧業博覧会」が開催されたんですね。
「内国勧業博覧会」は、国内の産業発展を促進し、
魅力ある輸出品目を育成することを目的とした
政府主導のイベントです。
まだ万国博覧会を開催できる力がなかったので、
内国なんですね。
その中でも、臥雲辰致が出品した
「和式綿紡機(ガラ紡。繊維から糸を作る機械)」は、
西洋の紡績機に比べ低コストで設置できるとして、
高い評価を受けることになります。
しかし、当時の日本には特許制度がなかったせいで、
模倣品がたくさん現れてしまいました。
それどころか、臥雲辰致本人ですら、
模倣品の存在を全く気にしなかったのです。
結局、資金不足に陥り、発明活動もままならなくなり、
挙句の果てには、明日のお米を買うお金もなくなってしまった、
というトホホなお話です。
しかしそのおかげもあって、
日本では綿業が栄えるようになり、
ガラ紡糸は西洋式の機械紡糸と
競い合うように普及していきました。
その結果、これまで輸入総額の36%も占めていた綿糸布は、
1897年には輸出が上回るようになり、
近代日本は軽工業立国を実現したのです。
このような背景もあり、発明に対する関心が高まり、
日本の特許制度導入に拍車がかかったのかもしれません。
ちなみに、たくさん模倣されてしまって、
ちょっとかわいそうな臥雲辰致さんですが…
晩年には別の発明でしっかり特許を取り、
豊かに暮らしたとのことです。
めでたしめでたし
※配信時点の判例通説等に基づき、個人的な見解を述べています。唯一の正解ではなく、判断する人や時期により解釈や法令自体が変わる場合がありますので、ご注意ください。