開院準備やリブランディングのタイミングで、先生からよくいただく質問にこんなものがあります。
- 「◯◯クリニックという名前、商標登録しておいた方がいいですか?」
- 「医療法人の登記と開設許可を取れば、名前は守られているのでは?」
- 「美容クリニックは登録した方がいいのかな…でも必須ではないですよね?」
結論から言うと──
医院名・クリニック名を商標登録する「法律上の義務」はありません。
ただし、
- その名前で長くブランドを育てていきたい
- 美容系・自由診療系など競争の激しい領域で勝負したい
- 分院展開・医療法人化・オンライン診療ブランド化を考えている
といった場合には、
“やっておいてよかった”と後から実感しやすい投資だと考えてよいと思います。
この記事では、
- 医院名と商標の違い
- 登録しない場合に起こり得るリスク
- どんな医院が「商標登録した方がいいのか」
- 区分(第44類など)の選び方
- 登録しやすい/しにくい名称のポイント
を、できるだけ噛み砕いて解説します。
目次
1. 医院名・クリニック名と商標は「別物」です
まず、よくある誤解から。
| 項目 | 医院名・クリニック名 | 商標登録された医院名 |
|---|---|---|
| 登録先 | 保健所・厚生局・都道府県(開設許可)/法務局(医療法人の登記) | 特許庁 |
| 目的 | 医療機関としての届出・許可のための名称 | サービスのブランド名として独占的に使う権利 |
| 法的効果 | 行政手続き上の名称。 他院の同名使用を止めることはできない | 登録した「指定商品・役務」の範囲で、同一・類似名称を他人が使うのを禁止できる |
| 保護される範囲 | 実はほぼ保護されていない | 指定商品・役務に類似する範囲で「自他商品・役務識別標識」として保護 |
開設許可や医療法人の登記だけでは、「名前の独占権」は得られていません。
「◯◯クリニック」で開設許可を取っていても、
別の地域や近隣で「◯◯クリニック」「◯◯皮膚科クリニック」という名前で開業されても、
原則としてそれを止めることはできない、というのが現実です。
2. 商標登録しないと、どんなリスクがある?
① 他院・他社に先に商標登録される
商標は 「早い者勝ち」 の制度です。
- 自院が10年前から「◯◯クリニック」を名乗っていても
- 3年前に別の法人が同じ「◯◯クリニック」を商標登録していれば
商標権者は後者の別法人 ということになり得ます。
その結果、理論上は、
- 看板・ロゴ・Webサイト・ドメイン
- 名刺・紹介状・パンフレット
などの変更を求められたり、
場合によっては商標権侵害の警告を受けるリスクもゼロではありません。
② 同名・類似名のクリニックが増え、患者さんが混乱する
商標登録していないと、
- 近隣に似た名前のクリニックが開業
- 別エリアにある同名クリニックの口コミが、Googleマップ上で混在
- 「あの△△クリニックって、先生のところの分院ですか?」と聞かれる
といった“ブランドの混同”が起こりやすくなります。
医療は「信頼」で選ばれるサービスです。
名前の混乱は、そのまま信頼の揺らぎにつながりやすいところがあります。
③ 将来の分院展開・法人化のときに“足かせ”になる
開業当初は「1院だけのつもり」でも、
- 数年後に分院を出したくなる
- 医療法人化してブランド名を統一したくなる
- オンライン診療ブランドを立ち上げたくなる
といった場面は、決して珍しくありません。
その時点で、
医院名と同じ/似た名前が他人に商標登録されていると、
- 同じブランド名でグループ展開しづらい
- ロゴやサイトを“微妙に変えた別名”にせざるを得ない
といった、将来の選択肢が狭まる事態になりかねません。
3. どんな医院・クリニックが商標登録「推奨」か?
すべてのクリニックに一律で必須、とは言いません。
ただ、次のどれかに当てはまるなら、前向きに検討する価値が高いといえます。
- 今の院名を、10年・20年スパンで使い続けるつもりがある
- 広告・SNS・Webマーケティングを積極的に行っている
- 美容医療、審美歯科、不妊治療、自由診療など競争が激しい領域で戦っている
- 将来、分院展開・グループ化・医療法人化を視野に入れている
- すでに地方や他県からも患者が来ており、名前がブランド化し始めている
- 「最近、似た名前のクリニックが増えてきた」と感じる
逆に、
- ごく狭いエリアでの地域密着のみを想定していて
- 分院・法人化の予定もなく
- ネーミングもありふれていてブランド性をあまり重視していない
というケースでは、「今すぐ必須」とまでは言えないこともあります。
ただし、その場合でも
「もしこの名前が他人に商標登録されて、今後使えなくなっても納得できるか?」
と自問してみて、「それは困る」と感じるなら、
商標登録を検討する時期に来ていると考えてよいと思います。
4. 医院名を商標登録するなら、基本は第44類(+状況に応じて)
医療機関の名前を商標登録する場合、
中心となる区分は 第44類 です。
第44類のイメージ
第44類には、たとえば次のような役務(サービス)が含まれます。
- 医業
- 歯科医業
- 薬剤師による医薬品の調剤
- 医療に関する助言
- 美容医療、医療用化粧品を用いた施術 など
ポイント:
- 効力が及ぶのは「区分」ではなく、指定した役務の範囲です。
- 第44類だからといって、第44類に属するすべてのサービスを自動的に独占できるわけではありません。
こんなときは他区分も検討
医院名・クリニック名を、
- 健康セミナーやオンライン講座のブランドにも使う
→ 第41類(教育・セミナーの企画運営など) - ドクターズコスメ・サプリのブランドとしても使う
→ 商品名として第5類/第29類/第30類、
および販売サービスとして第35類(化粧品・サプリの小売等) - オンライン診療アプリ・予約システム名として使う
→ サービス内容に応じて第9類・第42類 等も検討
…というように、
「その名前をどのサービスに使うのか」 に応じて、追加区分を選んでいくイメージです。
5. 登録しやすい名前/しにくい名前の違い
商標登録の可否は、ざっくりいうと
その名前が「自分のクリニック」と「他人のクリニック」を区別する“自他役務識別標識”として機能するかどうか
で判断されます。
登録が難しくなりやすいパターン
① 「地名+診療科+クリニック/医院」だけの名前
拒絶事例:
- 「六本木美容整形クリニック」(商願2023-085047号)
- 「東京オンライン美容皮膚科」(商願2023-029946号)
- 「麻布台歯科医院\Azabudai Dental Office」(商願2018-088921号)
このような名称は、
- 地理的名称+診療科目+施設の種別
という構成にすぎず、
単に「どこにある、何の診療科の施設か」を説明しているだけ
と評価されやすく、
識別力がない(商標法第3条第1項第3号)として拒絶される可能性があります。
② ありふれた氏名(+クリニック)、現存するクリニック名
拒絶事例:
- 「鈴木きよみクリニカルサロン」(商願2016-138523号)
- 「ありす歯科医院」(商願2019-020838号)
- 「つじファミリークリニック」(商願2024-086725号)
といった、ありふれた氏だけ(+施設名)や現存する施設名の構成は、
- 「ありふれた氏のみからなる商標」(商標法第3条第1項第4号)、「ありふれた氏+多数使用される施設名」(商標法第3条第1項第6号)として識別力が否定される可能性
- さらに、同姓同名の著名な医師や同名の医院等が存在する場合には、商標法第4条第1項第8号(他人の氏名・名称・著名な略称等を含む商標)の問題も出てくる
といったリスクがあります。
登録されやすくなる工夫
① ブランドらしい言葉・造語を足す
登録事例:
- 「山内ハートクリニック」(登録第6706242号)
- 「スマイルプラス矯正歯科」(登録第6458855号)
- 「ソラリス整形外科」(登録第6744456号)
- 「MYメディカルクリニック」(登録第6174426号)
- 「きぬた歯科」(登録第6663550号)
など、
- 「ハート」「スマイル」「ソラリス」などのコンセプトワード
- 「MY」などのアルファベット・略称
- 「きぬた」などのありふれていない名称
のような 固有の要素を加えることで、
単なる説明から一歩進んだ「ブランド名」として認識されやすくなります。
② ロゴ化して、図形商標・結合商標として出願する
文字だけでは識別力が弱い場合でも、
- 特徴的なロゴマーク
- 独自のタイポグラフィ
- 図形+医院名の組み合わせ
として 図形商標・結合商標 として出願すると、
全体として自他役務識別標識として認められる余地が出てくることもあります。
6. 医療広告規制・医療法とは別問題です
ここは重要なポイントです。
- 医師法・医療法・医療広告ガイドライン → 医療内容・広告表現のルール
- 商標法 → 名前(ブランド)を独占する権利のルール
は 別の法律・ルール です。
- 商標登録されているからといって、その名称・文言が医療広告として必ず許されるわけではない
- 逆に、広告として問題のない名称でも、商標としては識別力不足で登録できないことがある
という切り分けが必要です。
商標登録は、
「この名前でサービスを提供する責任を、長期的に引き受ける意思があります」
という“姿勢”を示すツールでもありますが、
医療の安全性や効果効能のお墨付きではない
という点は、誤解しないようにしたいところです。
7. まとめ:「必要かどうか」の判断軸
改めて、タイトルの問いに答えると──
医院名やクリニック名は商標登録しておく必要がありますか?
- 法律上の「義務」はありません。
- ただし、その名前で 長期的にブランドを育てていくつもりなら、登録しておくメリットは大きい といえます。
特に、
- 美容医療・自由診療・審美歯科・不妊治療など、競争が激しい領域
- 広告・SNS・Webを使って広域から患者を集めている医院
- 分院展開・医療法人化・オンライン診療などを視野に入れているところ
では、
「名前を守るかどうか」が、将来の選択肢を左右する といっても過言ではありません。
判断のシンプルな軸は、次の一つです。
「もしこの院名を、他人に商標登録されて二度と使えなくなったら、どれくらい困るか?」
- 正直そこまで困らない → 無理に登録しなくてもよいケースも
- それは本当に困る/今の院名にかなり思い入れがある
→ 一度きちんと商標の観点から検討してみる価値があります。
医院の名前は、先生やスタッフの想いと患者さんの信頼が積み重なった「顔」です。
法的にも、その顔をきちんと守る準備をしておくかどうか──
早めに一度、立ち止まって考えてみていただければと思います。
