商標保護の歴史に見る、「日本ブランド」の特徴

商標保護の歴史に見る、「日本ブランド」の特徴

2017年6月7日

持続可能なブランドコミュニケーションをつくる
「サムライツ™」の弁理士、保屋野です。

今日は、最初の商標法が生まれた日です。
明治17年(西暦1884年)の6月7日に、「商標条例」が制定されました。
以後、改正を重ね、
現行法は、昭和34年に全面改正された商標法に基づいて施行されています。

登録第1号は、画像に示されている京都の平井祐喜さんによる膏薬丸薬の商標。
その商標を見てみると、
板前さんが指を切ってしまった様子が描かれていて、
この膏薬を塗ると傷が治るという商品の効能を表しています。


明治17年…今から133年前の10月1日に出願後、翌年の6月2日に登録を受けました。

もっとも、商標を守ろうとするしくみ自体は、もっと昔から日本にも存在していたようです。

江戸時代より、他の商家との見分けのしるしとして「暖簾印」が使用されてきましたが、
これは単に商品の良し悪しというより信用を表す表示で、
「暖簾印」によって取引の可否が決せられることもあったようです。
こういった事情から「暖簾分け」は重要な意味を持っていて、
暖簾の信用をもとに商売ができる代わりに、
別家は本家の暖簾が傷つかないよう守ろうとする慣習がありました。
また、「暖簾印」を傷つけるような事件が起こると、
同業者間でその是非を審理し、結果を奉行所へ持ち込む、
という自治制度がはたらいていました。

この「暖簾印」をさらにさかのぼると、
「家紋」や「武家紋」という、
世界でも珍しい日本古来からの“家の紋章”がもとになっているようです。


(画像は徳川家の三つ葉葵)

欧米の企業が主に「製品ブランド」の集まりで構成されているのに対し、
日本の企業が「製品ブランド」より「企業ブランド」として発展してきたのも、
家を重んじてきた背景が影響しているのかもしれません。

日本特有の「企業ブランド」の考え方は、商標制度導入前から始まっていたんですね。